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如月★時代衣装・平安朝 公家婚礼小袿姿

だいぶ時間が過ぎてしまったけれども、2月の上旬に
時代衣装の勉強会に参加してきました。
なんだか時代衣装…というと構えてしまってなかなか重い腰が上がらず
更新が遅くなったわけでございます。
おまけに最近、きものって何だろう…と、きもの不信に陥り
余計関わらないように…としてたら、あらっ、もう3月になっちゃったのでやっとパソコンに向かうことにしたのですね

今回の講義は、時代衣装の宮島先生の
「日本の婚礼衣装の歴史物語と男子紋服について(その知識・感性・技術を今一度、見直す)」という内容でした。

やっぱり先生のお話面白すぎる。けど、先生の体の心配をしてしまう。
いつまでもお元気でいて欲しいと願うものの私も含めみんな老いていくので先生の話は大切に聞いていきたいと思うのでした。

はじめに男子の紋服のお話。
普段男子に着付ける機会はなかなかないので
いまいち着付けのルールがわからないのを事細かに説明してくださいました。
講義を聴くと目からウロコ…知らないことが沢山で
た〜くさん収穫がありました。

先生はよく男子の袴を着付ける時は最後に締める腰紐を
「十文字」よりも「一文字」で締めることを推奨します。
私たちにも出来るだけ一文字で出来るよう練習してくださいと言う。
一文字のが難しいので技術が必要というのもある。
理由は十文字は、死を表現するそうで先生自身も必ず一文字に締めてます。切腹する時に腹を十字に切るためや、
先生はやたらと陰と陽の説明をしてくれますが
十字にすると右が陰で左が陽で縦に結界が出来るから良くない。
一字にすると上が陽で下が陰になるので…等等説明してくれましたが
陰陽系はさっぱり理解が出来ないので今度、映画の陰陽師でも観てみようかな…と安直なことを考えました。
でもふと思いました。よくお弁当包むナプキンやリボン結びをする時に
縦結びはいけないと子供の頃自然に学んだわけですが
これもこの十字の陰と陽が関係しているのかな…と思ったのでした。

そして現代の男子の第一礼装の羽織袴の参考例として
下記の写真を見せてくれました。有名な歌手の方々です。

2013_J2e

左の黒い人は腰紐を十文字に。右の白い人は一文字に締めています。
どちらがいいわるいではなく、現在も両方の締め方をしているわけです。
ちなみに歌舞伎役者の方はみんな一文字に締めてました。
これもきっと仕来りとかあるんでしょうね。

で、先生は言う。
左の黒い人は羽織袴をラフ過ぎに着ているということを。
本来は帯を隠すために袴を履くそうですが、この人の着方は
帯が5~6cm見えているということです。
参考写真が黒くてよく見えなかったからググってみたら
確かに帯は見えていました。
帯が見えると普段着に見えてしまうとのこと。
ほぉ〜、全く知らなかった。

さらに羽織の紐が低すぎると指摘していました。
本来は羽織紐の結び目は腰紐に重なってはいけないそうです。
参考に歌舞伎役者が着た袴の写真を見せてくれました。
私はまたまた安直に演歌歌手とロック歌手の差を着付けで表現したのかな…なんて思いましたが、黒い人の方をよく見ると紋が家紋じゃなさそうなのでコマーシャル用に作った衣装で羽織紐の位置が下すぎちゃったのかな?と思ったり。羽織袴を履く時は武士と同じに左作法で、左足から履くそうですがまだまだ知らないことが沢山です。
先生が作ってくれた貴重な資料は保存版にしておきましたよ。

そして今回はこちらがメイン。

平安朝 公家婚礼小袿姿。
平安時代のウエディングドレス…いや…きものです。

未婚の女子は濃色(こきいろ)の袴を履くそう。
あれ?メモには15歳くらいまでと記されている。
初潮がきたら色かわるとか。
現代にも残っている白無垢は室町時代に始まったとのこと。

小袖→長袴→単を着ます。

2013_J2a

途中の写真ないけど、全部で8枚の着物を着ます。
最後に着せるのが「小袿(こうちき)」で3枚仕立てなので袖口から3色見えるわけです。
この小袿は袖部分の縫製の仕方は脇下まで全部縫ってあるのが特徴。

2013_J2b

寸法を間違えると上手く段々に下に着ている着物の色が出ないので
寸法はとても大事だという。
この着物の総重量がなんと30~40kgなんだと
モデルさんよく耐えられたな…と感心しちゃう。
前に自分も授業で違う十二単を着たことがあったけど
それはそれは大変だった。着せてもらっている最中、
また酸欠による睡魔が襲ってくるしね。絹って重いし。

2013_J2c

そして先生が女子の結婚式までの流れをお話してくれたのだけど
いや〜これまたすごい。

まず、女子が男子に手紙を書いて出す。
この時代は女子は嫁に行くのではなく、男子が婿で女子側の家に入るという。

で、男子が手紙の返事を書きOKなら三日間
この家に通うそう。
男子がちゃんと3日間通ってくれるよう、母が男子の麻靴を
抱いて暖めたりしていたそう。
それで3日間通ったらベッドインなんだと。ほぉ〜。
それで結婚式の時は父が娘の髪をカットするそうです。
よくいう姫様カットっていうんですか、前髪というか耳くらいの
段差になるやつです。
「鬢批(びんそぎ)」といい、この髪型が既婚の印になるそうです。

今回の授業では、年齢による色使いに羽織る着物の形、当時の風習等、
そして日本の文化は、染色・裁縫・着付けが発展していったということを
改めて知る機会となりました。
平安時代って千年以上前なのに今も引き継がれていることに驚きます。
まだまだホントに知らないことばかり。
少しずつ色々知っていきたいな。。。

ご褒美ご飯。

2013_J2d

ここの会場のホテルはホントに毎回美味しいお料理で大満足。
帰りは久々に会う同期の子達とも情報交換が出来て有意義な1日となりました。


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如月★勉強会で藤娘

先月、時代衣装の勉強会でまたまた焼津まで行ってきました。
昨年出逢った仲間とも久々に再会出来て嬉しいこと。
遠くから大変でしょうから次回はうちに泊まってください。。。なんて
優しいお言葉もかけてくださる方もいて嬉しい限りです

この勉強会は、学院で名取りした人達の交流会の勉強会で
年に2回、時代衣装の勉強と帯の結び勉強会をします。
今回は舞踊衣装の「藤娘」の着付けを見てきました。

その前に自身の着つけ。
何着ていこっかな~と、自分用大島を着ていくことにした。
この日に合わせて、コート買ったのにあいにくの雨で
残念だけど雨用コートになってしまった。焼津につくと雨止んでるし。。。
で、また小道具はお年玉で買った帯締めをしていくことに。
やっぱこの帯締めいいわ~。締めやすい。
この子には名前がついてます。「冬はつとめて」だって。
名前がついてるとなんだか大切にしよう!という気持ちになります。

着物はハーフメイドだから、きちんと着るには
装飾兼、機能性を含めた色々な小道具はいいものだと
自分が楽になることを思い知らされました。
前回使用した時とはまた違う感触を体感できた。
そして今回は迷わず1度で締められたわけですが。。。
希望の結び目と逆だった

20122J_120121g

あれ???
本当は、右の写真みたいに結び目が左に来たかったのだけども…
右になっちゃった
え~なんでぇ~?やり直しすればよかったけれども
今回は1回でゆるみなく綺麗に締められたから、
まだ新人だしいいだろう、とそのまま出かけてしまった。

この右とか左とかのこだわりは、今回時代衣装の先生が
左を好む派だから。。。と、いう理由です。
私もこの先生が大好きだから、左側にしていきたいのだけども。。。
毎回失敗します
結びの位置が右側、左側で流派の差別化もしたりしています。
実際、袴の着付けの結び目の位置で所属グループがわかったりしますね。

そして授業では、藤娘の着付けを見学。

20122J_4

「藤娘」の初演は文政九年九月の江戸中村座ですが“大津絵”の藤娘姿がモデルといわれています。
大津絵は寛永年間より、滋賀県大津で売り出された民俗絵画の呼称です。
教本時代衣装より抜粋



20122J_6

裾よけに襦袢をきせて。。。

替襦袢をきせて。。。

仕掛けのしてある着物をきせて。。。

作り帯をつけて。。。
舞踊用の着物だからワンシーズン、同じ帯が付けられるよう
作り帯だったんですね。

20122J_8

着付けが仕上がったら舞をしてくれました。
藤娘ってそう舞うんですか。

そして引抜き。
かくしてある仕付け糸を抜きます。

20122J_3

んっ???
こんな太い糸をどうやって縫ってあるかまでは見れなかった。
不思議だわ。

20122J_7

せーの!
で、引抜きました!藤色の着物に一瞬で変身!
すっご~い。
着付けの締め具合で成功するかしないかが決まるそう。
技術がないと失敗するわけです。

「引抜き」は亨保の頃(1700年頃)初代大谷広次が
考案したといわれているそうです。
どの時代にも面白いことを考えるクリエイティブな人がいるものなんですね。

踊る際には右肩を脱いでまた変身!
この後また舞を披露してくださいました。

20122J_9

ご褒美ご飯

20122J_2

またもや箸袋にはマグロの解説付き。今回はもう慣れちゃったよ。
焼津は刺身が旨~い。

これから毎年、時代衣装の着付けを見学する機会に恵まれますが
徐々に学院では世代交代の準備がされている模様。
学長の後継者が発表された。
ひとつの時代がいずれ終わるのか。。。と考えたら寂しくも思いましたが、
私も微力ながら技術の伝承が出来る人になりたいと強く思うのでした。
まずは現代着付けをしっかりマスターしないといけませぬ。。。




葉月★京都で教授講座★3/白拍子の巻

ひゃほ~。10月になっちゃった

いまさらひと夏の思い出まとめましょ。
京都で時代衣装の勉強をした二日目。
今度は私は着付け班になり、十二単と白拍子を前方と後方の
着付けを体験できることになりました。

前回の教授補講座で初めてみた白拍子。
日本史にうとい私はなんのこっちゃ?で、この衣装はいつ誰が着る?役職は何?と
専門用語とか多いし漢字多くて読みづらいしなんだかよくわからなかったのですが、
先生が私たちにわかりやすく説明してくれたのが源義経と静御前の話。
さらにはNHKの大河ドラマの義経で説明してくれて
義経役のタッキーと静御前役の石原さとみさんが…と親近感がわき
先生が耳にタコができるくらいに、タッキーが…タッキーが…と言ってくれたおかげで
私の頭に深くインプットされたのでした。
静御前が着ていた服が白拍子ということです。

shirabyoushi5
「白拍子水干姿(しらびょうしすいかんすがた)」
平安時代末期より始まった男装の舞妓。白い装束(水干や長袴)をつけて舞い歌うところから、
楽器がなくても素拍子をとり、今様など簡単な歌で舞うところから白拍子とよばれたというそうです。
(教本時代衣装図録より)
それでもよくわからないから、白拍子でウィキってみると、遊女ともでますね。
あ~なるほど。。。一番わかりやすいな…
でもなんで男装するんでしょう?と思い、またまたウィキってみるとこれか!?

白拍子は、男女問わずに舞われたものであったが、主として女性・子供が舞う事が多かった。
古く遡ると巫女による巫女舞が原点にあったとも言われている。神事において古くから男女の巫が舞を舞う事によって神を憑依させた際に、場合によっては一時的な異性への「変身」作用があると信じられていた。
このうち、巫女が布教の行脚中において舞を披露していく中で、次第に芸能を主としていく遊女へと転化していき、そのうちに遊女が巫以来の伝統の影響を受けて男装し、男舞に長けた者を一般に白拍子とも言うようになった。
ウィキペディアより抜粋


はぁ… 神とか巫女とかでてきちゃうのね。
巫女と遊女って真逆なイメージだったんですけどそうだったんだ。

で、話は着物に戻り二日目は要領をつかんで
写真を連続で撮ってました。
よかった。よかった。

女性が男装するので肩の補正をこれでもか!というくらいに
補正タオルをいれています。
そして小袖を着せる。
長袴の履く用意をする。

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単を着せる。
この時余分な布の余りを左右均一につまむのでした。

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装束結びをする。

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水干を着せる。

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胸と後ろの袖つけ部分にあるふさふさしたものは「菊綴(きくとじ)」と言って、
ほころびやすい所に補強用として付いています。
毎回着物の授業をして驚くのが、着物の装飾は美しいだけでなく
機能性をも兼ねているのです。
もう誰がこんな素敵なこと考えるのよ~。。。と
先人の知恵に脱帽です。

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前紐は後ろで箱結びにします。

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ここが難しかったところ。
裏箱ひだをとって結びあげて仕上がりの紐を
段々にするのでした。
あっ写真がない

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太刀をつける。

shirabyoushi8

太刀をつけた際の余り紐は三つ編みにして結ぶ。

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最後に烏帽子をかぶり、骨が5本の扇を持たせて完成!

先生の指導の元、前方・後方の着付けを体験でき、
素材に小物に着付けの順序も理解し一通り仕上げることは出来たけれども
1度だけで全てを把握することはなかなか難しいことでした。
次はいつこの着物を触れるかはわかりませんが
今回の授業を通して、これからの土台の一部になったことは違いありません。

余談だけれども、この授業を受ける数ヶ月前から
気になっていた、細かいどうでもいいような、でも知りたいと
思っていたことの確認が出来てよかった。

それは衿の部分についている縫い目の確認。
以前、学院主催のきもの展に行った時の販売スタッフのおじさんとの会話でのこと。
販売スタッフのおじさんには、着物は出逢った時に買わないと無くなっちゃうよ。と。
だけれども今年は買うつもりはないから
勉強中だから買わないと言うも、先生が軽くフォローしてくれて
この子は今時代衣装のお勉強してるから今年はそうね、
来年にしましょうね。。。と言ってくれた。
するとおじさんは一差し指をクロスして、右首前で十字とクロスのふたポーズを決めた。
「どっちですか?」…と。
勉強しているとかいいながら実は何も知らないのが現状。
えっ!?とした顔をした私を見ておじさんは教えてくれた。
クロスが公家。十字が武家と。

その確認を本物を見て確かめたかった。
確かに私が習っていたのはクロスの公家側。山科流。
十字が武家側の高倉流。

この目で確認したけど写真がまたないじゃん。
…で、前回の教授補講座の時の写真を引っ張り出して改めて確認。
白糸でクロスに縫われていました。
ここの縫いで公家と武家の差別化が出来るということです。

kuge

民間人の私が公家の山科流を教わるのはそうそうに出来ないこと。
その着付けの勉強が出来たことは学長の宮島先生のおかげなのです。
改めて貴重な場を与えてくれた学院に感謝しつつ、
より貪欲に着物を学ぼうと思うのでした。

次回は最後の京都講座のことをまとめましょ。

葉月★京都で教授講座★2/京芸妓の巻

やっと次のまとめ。
なんだか時間が経つとどんどん忘れちゃうのね。

先月の京都の授業では、十二単と京芸妓と白拍子の時代衣装を
実際に着て、着付けてと学びました。
全部着られるわけではなかったけれども本物を実際に触れることは
おおいに勉強になりました。

私は京芸妓を着れましたが、着付けはなしで見学のみで
写真を撮りまくっていたはずなのに。。。
後から見ると何がなんだかさっぱりわからない。
復習を兼ねてまとめましょうかね。

京芸妓
京都の芸子さんが着る着物。
今まで、芸妓・芸者の違いとか考えたこともなかったけど全然ちがうのね。
江戸は芸者。京都は芸妓というそう。
京都で芸者というと太鼓持ちの男の人のことを言うのだそう。
着方も違うし、江戸芸者は素足。京芸妓は足袋を履ける。
身分も違うのか。

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あれ?補正から始めたはずなのに写真がない
補正~襦袢を飛んで着物の写真から。

京芸妓の衿は右側を裏返しします。
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ブログを書きながらこの時、先生が用意してくれた資料を見て復習すると…
あら…素敵な秘密資料があるじゃない!と
今更ながら理解してきました。
資料には、「1/ぬきかげん」「2/あわせかげん」「3/とりつきかげん」が
図式と解説で書かれていました。
この三要素を一体化させて「らしく美しい衿」を作りだすそうです。

衿のぬきはこんなにぬくのね。
そういえば、自身が着た時も衿を抜くから
水化粧を首の後ろ~肩にかけて白く塗られていたわな。

で、次の写真はいきなり帯巻いてるし。
自分、きっと見るのに必死だったのかしら?

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これまた資料をみると「裾合わせの三要素」
「1/丈」「2/幅」「3/角度」がいかに大切かが記されていました。

そして帯、丸帯を京風つのだしで結びますが、
人に結ぶ前に、作業をしやすくするために「結びだたみ」をしておきます。
長~い帯をコンパクト美しく、更には結びやすくするために
畳むだなんてこれはユニバーサルデザインされていますね。

おっ!ここから写真が連続で撮っていましたわ。
帯を関西巻きにしてこれから結ぶ所↓

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半分に折って巻いた帯をさらに3等分にしているようです。

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手とタレを結んで角ができました。

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タレ先を帯の下線まであげて、帯巾の1.3倍の位置に帯揚げをかけます。

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帯揚げを上にあげて前にもっていく。

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前からの写真がない。仕上がりがよくわからない。

京舞妓の着付けは、自身がモデルして見学だけだったので
いまいち時間が経つと、手順やら感覚がわからない。

モデルをして最後の記念撮影の時は先生方が細かく手直ししてくれて、
ポーズもきまる角度を指定されて足がつりそうでした。
時代衣装を実際に着た感想はとにかくすごい力で何重にも
締めつけられるので、十二単もそうだったけれども苦しい。。。
睡眠不足で着ると酸欠になって睡魔に襲われました。
けれども、全身絹に包まれるという、貴重な体験ができました。


京都滞在中のご飯がとってもおいしゅうございました

初日の夕飯
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二日目の朝食
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二日目の昼食
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ミニサイズで色がかわいい~。
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二日目の夕飯
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デザートも付いてきた~♪
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夕飯後、夜遊びに八坂神社方面へ。
かわいいがま口屋があるということでくっついて行ったら。。。
うわぁ~ホントにがま口しかないのに、色も形もモダンでかわいい~。
閉店間際でしたが、うちらご一行様は超~買い物しまくりしていました。
がま口のリュックとかめちゃめちゃかわいいかったな~。
kyoto2G
あやの小路 祇園店
〒605-0074 京都市東山区祇園町南側525-2
TEL : 075-541-0081
FAX : 075-541-0085
営業時間:10:00~19:00

普段はおやつはあまり食べないけれどもせっかくだから…でお茶してしまった。
京都ですごした3日間、食が充実していましたわ。
見て満足。食べて満足。満腹。
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葉月★京都で教授講座★1/十二単の巻

もう9月になってしまったわ
書く内容はいっ~ぱいあるのにまたまた怠惰ちゃんな毎日を送り、数ヶ月も経ってしまいまいました。
こんなに時間が経ってしまって何から記していこうかな~と考えてはまた1日、1日が過ぎていってしまったのね。
本当は順序を追って書きたいところだけど、そんなことしていたら
いつ終えるかわからないから、逆に遡りながら最新の出来事から記していきましょうかね。

まずはじめに、昨年、通っているきものの学院の「教授補」クラスに進学して、来月補講が1回あるけれども
今年の3月に一応、教授補講座を終えて、元々はのんびりと30代のうちに
最後の「教授講座」を受講すればいいやと思っていた。
だけれども。。。前回の教授補講座の最終講座はあの3月の震災後に受講して
なんとなくこれから先のことは誰にもわからない、不安だらけの中でのことで
教授補講座で新たな偉大なる先生方とも出逢ったけれども、高齢で体調が万全ではない中、
無理して授業をしてくれたり…と、改めて人には寿命がある事を思い知らされた。
そんなこと思っていたら、先にやることやっとけ!と、
学院の最高峰である「教授講座」に進学することに決めた。
それにせっかく見て覚えたことが時間が経つと絶対に忘れるからな。。。とも思い決意したのでした。
進学するにはそれなりにまとまった費用も必要で、今年のヨーロッパ行きは無しになりました。とほほ。。。
まっ、しょうがない。

教授講座は前回同様、3回に分けて講座があり、
前期:各分校にて中期の予習講座&帯結び講座。
中期:名古屋で後期の予習講座。
後期:京都で時代衣装の着装&帯結び講座。
という内容になってます。

で、早速今回の覚え書きは、後期の京都で時代衣装の着装のこと。
授業では「十二単」「京芸妓」「白拍子水干姿」の中から2つを実際に着ることができ、
2つの前方、後方の計4回分の着付けの授業を行うことができます。
今回の受講生は70名、東北組も被災地から7名も参加してくれました。
4~6名のグループに別れて、モデル、前方、後方、見学としっかりと組まれています。
予定表を見るとあたくし初っぱなからモデル役。翌日着装体験でした。
いいのかわるいのか。。。で、これを着ました↓

京都12京都13

十二単&京芸妓

残念ながら初っぱなからモデルをして、皆はじめての体験だから
自分のことで精一杯で写真撮る余裕がなかった~
というわけで自分の着装過程の写真はございません。残念

よく十二単は12枚着物を着ているんですか?と言われますが
12枚ではありませんでした。実際は7~8枚重ね着してます。

そして凄いんだな、装束だたみと言って、
仕舞う時用の「仕舞いだたみ」と着装する時用の「着せだたみ」があるんです。
着せだたみは、着せる時に無駄な所作がないようにそれ用にたたみ直すんですよ。
日本人の器用さのDNAはこの時代からのものなんですね~。

ここから、自分が着た時の感想と人の着装写真を交えて順次まとめていきましょ。

十二単の着装

着る前に
時代衣装専用の化粧「水化粧」を専門のメイクさんが来て化けさせてくれました。

1:はじめに、「飛代(ひよ)」を着せます。
肌襦袢その1といった感じです。衣紋はぬかず着せます。
あっ、飛代の前に補正がありました。
十二単は重ね着するのでそれほど補正はしなくてもよいそう。

東西南北で、お方様(着せられている人)前方(前を着せる人)後方(後ろを着せる人)の位置が決まっています。

    北(後方)
    ↑
西←(お方様)→東(着せだたみした着物置く位置)
    ↓
    南(前方)

2:「小袖(こそで)」を着せます。
肌襦袢その2といったかんじです。ここで「巻帯(まきおび)」で締めたっけ。

3:挨拶をします。
小袖までを着せたら、お方様の右側に前方、左側に後方の人が
向かいあって正座して、お方様を見上げてから着装用のお辞儀をします。
お辞儀の際も手のひらは床につけず、手のひらを上に向けて指もあげた状態でお辞儀。
床に手をつけるのは不潔ということで、手を汚さないためだそう。

そしてここからが重要!
挨拶してから、前方の人は絶対に立ってはいけないということです。
膝で立つまでしかできません。もし立ってしまったら打ち首だそう
ま~じ~ですか~?まっ今回は授業なので後ろ見たいし勉強なので立ってもOKでしたが、
その時代に生きていたら、わたくし何回打ち首になったことか。。。こわっ。

4:「長袴(ながばかま)」を履かせる。
ここまでは余裕でモデルできてました。
朝また早起きだったし、お方様役のモデルでよかった~立ってるだけですし、
なんも考えなくていいや。。。とお気楽でいましたが。。。

5:「単(ひとえ)」を着せる。
どんどん重ね着するので、着物を押さえる「装束結び」という結びをして
次のを重ね着したら、下の結びは解きます。解いた紐はこれまた機能的に
専用のたたみ方があり次の着装の時に使います。
そして、この単まではなんとか意識あったんですよね。。。

6:「五つ衣(いつつぎぬ)?」を着せる。
京都1
おっ、やっと写真撮ってましたわ。
後から写真見ればなんとか順序わかるんじゃん。と安易な気持ちでいましたが
実際後から写真みたら何がなんだかわからん。。。
前の講座の時に控えたメモには「五つ衣」「打衣(うちぎぬ)」と
順番が書かれてたけれども。。。はて?
これは、どちらなのか正直わかりません。
う~ん、今度先生に確認しましょう。

そして…この辺からわたくし着物の重さに耐えられなくなり。。。
意識が薄れてきました。。。眠い。。。重い。。。
冷や汗タラリ。。。

7:「表着(うわぎ)」を着せる。
この表着を羽織った時にはさらにずしりっっっ!!!と重さを感じ、
重い。。。眠い。。。苦しい。。。暑い。。。酸欠だわ。。。
風が欲しい。。。と、倒れそうでしたが、ここで倒れたら皆さんの迷惑だし
この後写真撮影あるし。。。で、マインドコントロールでリラックス~と念じてました。
あははは。。。

8:「唐衣(からぎぬ)」を着せる。
京都4
おっ!やっと写真があったけど、ろくな写真がないな。。。
多分この写真は、袖の色合わせを撮りたかったんだな。。。

9:「裳(も)」を着せる。
やっと最後に着せるものまできました~。
途中誰かに「大丈夫?」と声をかけられて、死にそうな声で「なんとか。。。」と
答えたら先生が「これで最後だからあと少し頑張れ~」と声をかけてくださり
急に元気になったのでした。

京都2
着せだたみから着装するときも、長い紐などはこれまたコンパクトに
美しく機能的に広げていくのですよ。

京都3
着せた後の布の処理もこれまた、美しく機能的に折りたたんだり広げたり。

京都8
そして、あっ誰かが翌日、前方の私を撮ってくれてました。
かなり真剣です。写真を見てわかりましたが、足!広がってますね。
これ駄目です。足は広げず足の裏まで揃えていなければいけないそう。
目の前に集中しすぎて、足に気をくばる余裕はありませんでしたよ。

京都7
前方の作業終了。私、ご満悦で眺めてる写真です。
前日に実際モデルをした時は。。。やっと動ける~と、
この重さから解放される~と元気になりました。

その後は。。。

かつらをかぶります。
京都14

これも重い。。。し、自分のサイズに合うのがなかなか見つからず。。。
かつらの先生も。。。「あれ?」「あれ?」。。。と、何度も合わせます。
頭の形悪くてなんだかすみません。
京都6

最後には、記念に写真撮影してくれます。
先生方が撮影用に小物を装着し、着崩れを直してくださいました。

京都5

〈おまけ〉
襟の色合わせが独特な組み合わせ。
こんなに発色のいい染め物もその当時からあったなんて不思議です。
どんな染料を使用していたかも興味ありますね。
京都9京都10京都11

自身がモデルをしている時には気づかなかったけれども、
着せる側をしてよくわかった。ひとつひとつのきものにものすごい刺繍の数なんです。
これだから着物が重いのよ~
初体験の十二単、ホントに重くて気絶しそうでした。
現代はまだ軽量型になっているらしいですが、その当時はもっと重いだろうな。

次は、京芸妓と白拍子をまとめましょ。



















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Author:オドレッタ
パッケデザイナーが人も包みます。新米着付師プロになれますように。。。きものってダイエットになるわね。なんか着ると体の調子もよくなるのよ。

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