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結び★産霊 その1

もう先月のお話。
三月の連休中に京都は花園にて、着付けの合宿勉強に行きました。
着付けの勉強を始めて6年目。
この合宿「教授補講座」に来るまで長い道のりだった~。
いや、もっと早く受けることは出来たけれども
経験と知識が乏しい私にはすぐに上へ上がるにはまだ早いと考え、
数年間は復習と実践で経験を積むことにしたのです。
そして昨年、今だ!と決心し受講することにしました。

何故京都に行かねばならなかったか…
それは、京都は花園は衣紋道発祥の地ということで、
本場で本物を学ぶために毎年この地で講座が開かれるのです。
…とか言いながら「衣紋道」という言葉があることも初めて知りました。
茶道、華道よりも先に衣紋道が確立されていたそうです。
開祖である源朝臣有仁公(平安時代・久安3年(1147年)没)が
日本独自の衣の文化を築いていったそうです。
それ以前は中国からの輸入の服を元に真似していたのだと。

改めて自国の衣文化に興味を持たせてくれたきもの、
なかなか興味深く、面白い。
きものの勉強をして一番、驚いたこと。
日本人ならば自然ときものを着る時は、襟あわせが右が下、
左が上なのはあたり前なこと。反対に着るのは死装束という。
だけど、誰がいつから???というのは今まで知らなかった。
なんとなく母から…祖母から…世間から…で、いつからなんて考えたこともなかった。
この右が下の襟あわせが決まったのは実は、法律で決められたそう。
大和時代・大宝1年(701年)に大宝律令が制定された後、
奈良時代・養老2年(718年)に養老律令が制定され、
翌年の719年に「右衽令(右から先に着る)」が出され
約100年かかって、人々に定着したそうです。
この法令が出される前は、どちらに着ても良かったそうで、
靍松塚古墳の壁画、女子群像を見ると逆に着ているのがわかります。

靍松塚古墳

では死装束が逆なのはいつから…???
古くから結び目を境に右が生。左が死と区別もしていたようだけど
いつから…というのは、まだ勉強不足でわからない。
今後の課題で調べていきたいです。はい。

前置きが長すぎた。。。

実際どんなことしていたか、4回にわけてまとめていこうと思います。

初日朝、6:50発の新幹線に乗らなければいけなかった。
超~はやい。夜型人間にはホントにきついですが、
05:05なんとか起床して、足袋を履くまで25分間。全く頭がまわらない。
05:30からやっと着物を着始めた。仕上げまで約15分。
時間のない時は、前日から着付けのための準備をしておきます。
帯も教材枕を使って二重太鼓だから、楽ちん簡単。
そして6時過ぎ、いざ出発!で、京都へ旅立ちました。

201133a

新幹線で移動中、教科書を眺めながらちょいと予習。
3年前の助教授講座の時に購入したこの時代衣装の教科書、
3年ぶりに開いたのですが、興味深い内容が沢山書かれていた。
きものを主とした年表もあり、西暦、和暦、天皇、征夷大将軍、
文化史、一般史別に記述されている。
そして何故今この時に。。。と思うような、
江戸時代の天災やらいろんな事件なども書かれています。

余談だけども、ちょっと気になったのが「八百屋のお七火刑
なんだこれ???と後日ウィキってみたらあった。
ジャンヌダルクか???

八百屋お七(やおやおしち、寛文8年(1668年)? - 天和3年3月29日(1683年4月25日))は、江戸時代前期、江戸本郷の八百屋太郎兵衛の娘。
幼い恋慕の挙げ句に放火未遂事件を起こしたことで知られる。一途な悲恋として井原西鶴によって取り上げられ、後に浄瑠璃など芝居の題材となった。
ーウィキペディアよりー


話は戻って、無事に京都に着いた。
久々の京都、駅ビルってこんなに栄えてたのね~なんて思いながら
先生達と合流。バスに乗って会場へ移動。
京都の町並みってなんか違う。
現代建築も繋がった建て方になっているんですよね。
初日はオリエンテーションと午後から時代衣装の講義がありました。
今回の生徒数は100名ぐらいでしょうか?
みんな着物を着ているので華やかです。

教授補2

時代衣装の講義の監修は時代衣装の草分け的お方、宮島健吉先生。
そうこの先生に逢うためにこの講義を受けたようなものです。
噂には聞いていた通り、偉大なる人でした。
午後の授業が始まるなり大きな声で「おはようございます!」と挨拶から始まった。
白の袴姿が馴染んでる。先生は自身の着付けは最後必ず一文字にきめる。
まず先生のキャラクター、声も大きくとにかく元気。
正のオーラを放ち、人を惹きつけ、
堅苦しい話もユーモアを交えてわかりやすいように説明してくれる。
舞台からはける時は笑顔で両手でバイバイと手を振ってはけるのです。
年上の男性にこんな表現は失礼だけども、その姿がなんとも愛嬌があってかわいい。

合宿中、初日の1度だけ宮島先生の着付けの手さばきを見ることが出来ました。
指先に気を集中させて一直線に布目を通す。
無駄な手つきがなく流れるような手さばき。
見ているこちらも惚れ惚れするほど。
真似したいわ。。。
先生の仕事に対するストイックさが十分伝わってきました。

国内外で活躍している、宮島先生。
よくどうやったら上手く出来るのかを聞かれるらしい。
そこで先生はいつもこう言うそうだ。

「VSOPです!」

V…びっくり

S…するほど

O…ワン

P…パターン

思わず吹き出しそうになった。先生面白すぎます。
だけどこの言葉には国字である「躾」も兼ねているのです。
だから、実は深い意味があるのですね。

「しつけ」という漢字は見ての通り、「身を美しく」
ハーフメイドの着物は着付けた人により良くも悪くも完成します。
経験を積み重ね、修練することで身につくのであります。
なので、着物を着ることでこの漢字が国字として出来たのだと言うことです。

さらに先生は言いました。着付けは愛情です。と。
昔は結ぶことで互いの愛情確認もしていたそうです。
再会するまで、あなたが締めてくれたこの帯結びは解きません。
という詩も万葉集に記述されているという。
(ん?…ということは、再会するまでお風呂に入らなかったのか…
高校の時古文とかよくわからないしつまらないしで
ちゃんと勉強しなかったけれども、
いまなら読んだら楽しいのかな~と思ったりします。

他には戦に行く旦那さまに着付けをする奥様。
着付けの仕上がりによって、生死にも関係してきますからね。

昔は結びとは「装飾性」「機能性」「精神性」を持ち、
包む、畳む、と共に日本文化そのものだということです。
昔は「むすび」が霊力をもつと信じられていたそうで
「産霊」と書いてむすびと言ったそうです。

今でもお宮参り着には「背守り」という結びがあります。
背守りとは、一つ身の着物に背中の縫い目がないことから
背中から悪霊が入ってくると信じられ、
背中に縫い結びをしてお守りとしているそうです。
さらには、斜めの縫いは男女の差別化とのこと。
右斜めが女子。左斜めが男子の縫いだそう。

教授補1

いろんな決まり事があるのね。
水引の結びにもいろいろな意味があるので
間違えたらかなりKYですからね。。。

裁縫の仕方も洋裁とは違ったり、縫い目の上下で男女差があったり
細かく決められことがあるなんて初めて知りました。
昨年、なんちゃって中振り袖用襦袢の袖を知識なく適当に作ってみましたが
う~ん確実にやり直しだわ。と思いました。

また長くなっちゃった。。。
次回は時代衣装についてまとめましょう。








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パッケデザイナーが人も包みます。新米着付師プロになれますように。。。きものってダイエットになるわね。なんか着ると体の調子もよくなるのよ。

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